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まだ、ここにない未来――加速の果てに見えるもの(文/北丸雄二)

解説記事 スターチャンネルEX 編集部
まだ、ここにない未来――加速の果てに見えるもの(文/北丸雄二)
『2034 今そこにある未来』について「愛と差別と友情とLGBTQ+ 言葉で闘うアメリカの記録と内在する私たちの正体」の著者で、ジャーナリストの北丸雄二さんに解説いただきました。このドラマは果たしてあり得べき「未来」なのか?ラッセル・T・デイヴィスが描く、"加速主義"のメッセージと、権威主義への対抗手段とは——

目次[非表示]

  1. あり得べき「未来」のドラマなのか?
  2. ラッセル・T・デイヴィスが提示する「加速主義」のメッセージ
  3. この現実世界で始動しているものに対抗するカギ
  4. 権威主義と親和性の低い「個」性をこそ前面に

あり得べき「未来」のドラマなのか?

 BBCでの放送開始が2019年5月14日、HBOが同年6月24日。だからここで描かれる「現実」は、英国や米国の視聴者たちにとっては2019年時点での「未来」を先読みすることになった。日本の私たちはそれに遅れることほぼ2年半。すでに過去となったその冒頭の「未来」からこれを見ることになる。私はそれを幸運だと思う。なぜなら私たちには、その「未来」が現実の「現在」とすでに少しだけズレていることを知っているから——それは安堵だ。そう、ここに描かれるこんな「未来」は来ない。こんな「未来」は、違うはずだ。こんな「とんでもない未来」は、フィクションに過ぎない、と強弁する余地にしがみつけるから。

 けれど、2019年時点でこれを見た視聴者たちは、2020年という彼らの「未来」でブレグジットが果たされ、アメリカではドナルド・トランプが再選されて二期目を司る様を見ることになる。中国は南沙諸島ならぬ人工島「紅沙島」の軍事基地化を完成させる。エリザベス女王は死去し、ロシアはウクライナに軍事傀儡政権を樹立させ、そしてメルケルもまた死んで、ドーヴァー海峡にはウクライナ難民が押し寄せる……。

 第1話を眺めているうちに、私たちの安堵はやがてすぐに虚しくなる。トランプの再選こそ「ハズレ」だが、「今そこにある未来」はたちまち私たちを追い越して、2022年の英国総選挙ではエマ・トンプソン扮する女性版トランプ「ヴィヴィアン・ルック」が落選こそすれ不気味な浸潤を成就させる予感が漂う。

 ならばこれはあり得べき「未来」のドラマか? 違うのだ。これは「現在」を加速させたドラマなのである。「未来」は飛び越えた先にあるのではない。「現在」の継続にある。エピソード内で実際にしばしば行われる「早回し」の手法は、まさにこれが「加速主義」そのもののドラマ化であることを意志的に提示している。つまり、これは「現在」の継続を早回しした姿なのだ。

ラッセル・T・デイヴィスが提示する「加速主義」のメッセージ

 「加速主義」とは、矛盾と失敗に満ちた現実が、矛盾と失敗とを解決できないまま未来の破滅へと進むならば、茹でガエル状態でズルズルとそこへ進むより、むしろいま一気に矛盾を加速・最大化して、その破滅の先に見える更なる未来へ脱出すべきというメッセージを送る時にのみ有効となる。現在の矛盾と失敗とは、このドラマの背景に訪れる世界規模の政情不安と金融不安であり、異常気象であり、権威主義の台頭と民主主義の危機であり、難民や移民問題の横溢やAIによる労働環境の激変である。それを加速させることでその未来とは別の未来へと脱出する道を探ること、提示すること——それがこの『2034 今そこにある未来』を作ったラッセル・T・デイヴィスの解釈する「加速主義」のメッセージである。

 しかし対する「今ここにある現在」では、実際の「加速主義の父」ニック・ランドが右派リバタリアンでトランプ支持者として知られるピーター・ティールの新反動主義を受け継いで、来たるべき「世界の終わり」に備えるプライベート・シェルターを、ニュージーランドの大平原からポリネシアの人口洋上国家に移している。つまり、世界の破滅を放置して、自分たちだけが生き残りデザイン(設計)する未来へと脱出しようとしているわけだ。あたかも、ウォシャウスキー姉妹が監督・脚本を務める『マトリックス』の、どこかに存在する現実世界の支配者(物?)たちのように。

この現実世界で始動しているものに対抗するカギ

 「加速主義」の名の下に私たちのこの現実世界で始動しているものは、デイヴィスの描く加速主義のメッセージとは真逆の方向性を持つ。だからこそそれらに対抗すべくデイヴィスが用意したのは、プライベート・シェルターなど用意できない英国マンチェスターの普通の、一般的な、けれど多様な、「ライオンズ家」の面々だ——未婚の次女ロージーは先天性の脊椎異常で車椅子生活で、中国人の顔をした次男「リンカーン」を産む。リンカーンは成長につれ次第にトランス女子の様相を纏い始める。ロージーの兄、ダニエルはゲイで、同性婚法制化の下、恋人と結婚し、難民施設で奮闘する。長男スティーヴンは金融アドヴァイザーだが金融破綻で失職する。その妻セレステは黒人で会計士で、2人の間の娘べサニーは「トランスヒューマン」としてディジタルの世界で生きることを夢見る。長女イーディスは人権活動家として世界を飛び回りのちに女性の伴侶を持つ。そしてこれら4兄妹の祖母として90歳を超える祖母ミュリエルが一家の依り処となる。

 老若男女の織りなすこの『今そこにある未来』の対抗性のカギは、加速の先の別の未来を志向するのがライオンズ家の女性たちとゲイ男性と非英国人とトランス女子であることの意味だ(もっとも、一方のヴィヴィアン・ルックもまた女性だが)。

 これは、自らもゲイ男性である制作者デイヴィスの依怙贔屓(えこひいき)だろうか? いや、これは、ゲイ男性だからこそ着想し得た対抗手段だと思われる。

権威主義と親和性の低い「個」性をこそ前面に

 民主主義の凋落と権威主義の台頭——香港の民主派弾圧、ミャンマーでの軍事クーデタ、さらにアフガニスタンでのタリバン再支配と、2021年には世界のさまざまなところで権威主義が民主主義に取って代わった。世界規模のコロナ禍においても、私権制限をできる権威主義国家の方が民主主義国家より「優れている」という言説が蔓延した。本来は民主主義国であるトルコやブラジル、ハンガリー、フィリピンなどでも強権統治が強まっている。

 権威主義が社会を覆い尽くすところで、真っ先に抑圧の対象となるのは女性と人種的少数者、性的少数者である。つまり、ジェンダーとレースとセクシュアリティが、権威主義と最も親和性が低いものだからだ。なぜならそれは、人間からさまざまな属性を剥ぎ落とした後でもなお残る「個」性だからだ。権威主義は「個」を無視し、排除し、抑圧する。だからそれに対抗するには、個人の核であるジェンダーとレースとセクシュアリティを前面に押し出すしかない——おそらくそれがデイヴィスの着想した対抗手段なのである。

 そこまで気づいたとき、この『今そこにある未来』が、実は現在の民主主義と権威主義のせめぎ合いの「場」であることがわかるはずだ。ただし、エピソードの最終話で描かれる「未来」は、今まだ、ここにはない。そしてその「未来」の次の「先」も、ここには描かれていない。私たちはそこで再び、慄然とした戦(おのの)きを味わうことになるのである。

『2034 今そこにある未来』
原題:YEARS AND YEARS

(c) Years and Years Limited 2019

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