両親のただならぬ喧嘩を目撃した記憶のような、忘れられない映画になるかも…『ザ・ブルード/怒りのメタファー』

解説記事 編集部 
両親のただならぬ喧嘩を目撃した記憶のような、忘れられない映画になるかも…『ザ・ブルード/怒りのメタファー』
クローネンバーグ監督自身の結婚生活の破綻、娘の親権をめぐる泥沼の闘争劇が反映されながらも、監督が「自作のなかで最も愛着のある作品」と語った映画。観た者の人生にとって重荷となるレベルの生々しさとは?

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  1. 典型的SFホラーの主人公夫婦が放つ、あまりにもリアルで生々しく、イヤな「大人の味」
  2. 【ここからは映画の結末に触れているので、作品観賞後にお読みください】

典型的SFホラーの主人公夫婦が放つ、あまりにもリアルで生々しく、イヤな「大人の味」

 デイヴィッド・クローネンバーグ監督が「自作のなかで最も愛着のある作品」と語ったと訊けば、是が非でも見たくなるのは致し方ない。とはいえ、小学生が貴重なお年玉を投じて、9800円もするレーザーディスクを購入したのは、やや常軌を逸していたかもしれない。30年ほど前の話である。

 大枚はたいて手に入れた大事な作品ゆえに、繰り返し観た。いつしか自分にとっても愛着深い作品になっていた。しかし、子供には飲み込みづらい「大人の味」にモヤモヤした当時の記憶も鮮明に残っている。今見返しても、その感覚は鮮やかに蘇る。
 主人公フランク(アート・ヒンドル)は、妻と別居し、仕事と子育ての両方に追われている。妻との仲はすでに修復不能で、離婚調停を進めているが、精神を病んだ彼女は郊外のクリニックで入院治療中。面会謝絶状態のため、話し合いは一向に進展しない。少なくとも映画の前半を観るかぎり、望まぬ仕事と家事の両立、離婚問題の暗澹たる行く末に、のっけから疲れ果てている様子だ。

 謎の侵入者に義母が撲殺され、その現場を娘が目撃してトラウマを負ったかもしれない……呼び出された警察署で心理学者にそう訊かされても、フランクの表情に浮かぶのは心配よりも「面倒事はもうたくさん」という倦怠感である。そして、娘の背中にある虐待の痕らしき傷をポラロイドカメラで連写する姿には、娘をいたわる気持ちよりも、裁判で勝つための材料を集める必死さのほうが勝っているように見える(もちろん娘を守るためという目的があるにしても)。彼が父親らしい死に物狂いの行動力と表情を見せるのは、映画の中ほどを過ぎてからだ。
 今から思えば、それらの描写はリアルだった。子供でも分かりやすく感情移入しやすい、ハリウッド映画的「正しさ」を備えたキャラクター造形とは違っていた。親と一緒に見るのが気まずく感じられるほど生々しかった、とも言える。

 本作のストーリーが、デイヴィッド・クローネンバーグ自身の結婚生活の破綻、娘の親権をめぐる泥沼の闘争劇の影響下にあるというのは有名な話である。だから「マッドサイエンティストが研究に熱中するあまり、モンスターを生み出し、取り返しのつかない事態を引き起こしてしまう」という典型的なSFホラー映画の骨子を持ちつつ、本作に描かれる感情やキャラクターは、監督自身の苦い体験に基づくリアルなものだ。

 リアルであるがゆえに、フェアでもない。何しろ妻ノーラ(サマンサ・エッガー)の人物像が、よくわからない。夫=クローネンバーグの視点から物語が描かれるので、ノーラは最初から対話不能な、狂気と怒りとパラノイアの塊として登場する。しかも、登場場面の半分以上は、主治医であるラグラン博士(オリヴァー・リード)が実験的に行う演劇的セラピーとして展開するので、彼女のファナティックな印象はいや増すばかりだ。

 劇中では、かつてノーラとフランクが幸福なカップルだったころの思い出も、面影すらも一切描かれない。クローネンバーグ自身の作劇が冷静さを失っているせいだろうか。
 一方、ノーラを単なるモンスター扱いしない配慮もあるにはある。彼女の歪んだ人格形成に、母親による虐待と父親の無関心が大きく影響していたという分析も、劇中に織り込まれているからだ。しかし、彼女自身の人間性までフォローする余裕は、クローネンバーグにはない。

 ノーラの母ジュリアナ(ナーラ・フィッツジェラルド)は、第一印象はいかにも上品で常識的な年配女性だが、実は幼き日のノーラに暴力を振るっていた毒親という設定だ。外面を取り繕うことだけには秀でた、支配的で高圧的な人物……実生活でモデルでもいるのかと思うほど、人物描写がいちいち生々しい。彼女は娘が産み落としたブルード(ひな、または同腹児)に、文字どおり怒りの鉄槌を振り下ろされる。
 ノーラの体外子宮から無性生殖で誕生するブルードたちは、ノーラの怒りと怨念が実体化した存在であり、ラグラン博士の提唱する「サイコ・プラズミック療法」の貴重な実証例である(要するに、抑圧されたネガティブな感情を体外腫瘍として発現させ、しかるのちに外科的処置によって治療する……というようなメソッドだと思うのだが、劇中にしっかりした説明はなく、正直よくわからない)。

 ブルードは急激に成長するが、背中のこぶに備えた栄養源が持続する間しか生きられない。言わば、成長の権利も人間性の獲得も最初から剥奪された、単に親のエゴを叶えるためにこの世に生まれ出た「不幸な子供」のメタファーである。そして、ノーラとフランクの娘キャンディス(シンディ・ハインズ)は、紛れもなく彼らのきょうだいだ。母親が同じという意味でも、血みどろの闘争劇に巻き込まれる不幸な子供という意味でも。
 身勝手な大人の事情からくる家庭不和の悪影響を、一身に被ってしまう幼く無力な子供への罪悪感。それを担う存在がキャンディスだとするのなら、狂暴なブルードたちはいつか訪れる「子供たちの逆襲」に対する恐れの象徴だろうか。トラウマ映画の金字塔『ザ・チャイルド』(1977年)、J・G・バラードの小説『殺す』との相似性も思い浮かぶが、心理的に共通性が高いのは『イレイザーヘッド』(1977年)ではないだろうか。この作品も、監督のデイヴィッド・リンチ自身の家庭不和と私生活の不安が源泉となって生まれた、悪夢の結晶である。子供への歪んだ恐怖を、いい大人が躊躇なくさらけ出した「鬼才の若書き」的作品としても、双璧である。

 『イレイザーヘッド』に衝撃的な子殺しの場面があるように、『ザ・ブルード』にも、ラグラン博士が拳銃でブルードたちを射殺するショッキングな描写がある。いくら作中で「生物学的に人間の子供とはいえない」と表現されていようと、子供心にもそれは「いけないこと」だと感知できた。これがもし、離婚で傷つく子供たちを可視化した表現だとすれば、若きクローネンバーグの過激な作家性に慄くばかりだ。

【ここからは映画の結末に触れているので、作品観賞後にお読みください】

 映画のクライマックスでは、ふたつの場所を舞台に実にスリリングなカットバックが展開する。ブルードたちに誘拐された娘を探し求めてクリニックに辿り着いたフランクは、ノーラとの「冷静な会話」を試みる。一方、ラグラン博士はノーラと意識を共有するブルードたちを刺激せぬよう、離れの小屋からキャンディスを連れ出そうとする。

 フランクとノーラの対話はさながら『マリッジ・ストーリー』(2019年)の終盤、スカーレット・ヨハンソンとアダム・ドライバー演じる夫婦が決定的破局に至る修羅場にも似た緊迫感に溢れている。フランクは努めて親密に、譲歩しながら妻に語りかけるが、ノーラが行うブルードの出産という衝撃的光景によって、冷静さは残らず吹き飛んでしまう(ガウンをめくって体外子宮を見せるノーラの姿は、実に禍々しくも神々しく、クローネンバーグの異形崇拝が極まっている)。狼狽する夫に対し、ノーラの態度はひたすら冷静で、物事を的確に見通している。夫婦喧嘩における夫側の恐怖を凝縮したかのような場面だ。

 そして、ノーラの怒りの矛先が娘にまで向いたとき、フランクは思わず妻の首に手をかける。ここからあとの展開は、いまだに納得がいかない。というか、「首を絞めて終わり」などという安易な結末では、まったく終わった気がしない。勢いに任せて解決を放棄してしまったようなモヤモヤ感が残る。

 おそらく、クローネンバーグ自身、この問題をどう解決していいのか、最後までわからなかったのではないだろうか。現実がそうであったように。

 ラグラン博士を殺したブルードたちは、ノーラの絶命後、リモコンを失った機械のようにこと切れる。キャンディスはようやく救出されるが、その腕には「サイコ・プラズミック療法」の産物のような発疹が現れている。先端からは体液が少し滲んでいて、なんとも芸が細かい。幼くしてすでに感情を押し殺す術を得てしまったキャンディスの表情筋に代わって、肉体が黙して涙を流しているかのようだ。

 その後、キャンディスはどんな人生を歩んだのだろうか。ジュリア・デュクルノー監督の『TITANE/チタン』(2021年)は、ビジュアル面でも『ザ・ブルード』はじめクローネンバーグの諸作品からの影響を如実に感じさせるが、主人公のドラマにも「キャンディスのその後」を思わせるところがある。

 結婚、そして家庭というものに対する不信と不安。子供への罪悪感と、同時に恐ろしさを抱くアンビヴァレンス。そんな「大人の味」が横溢する本作を、親や親戚からもらったお年玉を使い果たしてまで子供時代に観たことは、はたして良かったのかどうか……。何か、自分の人生を決定する出来事になってしまったのではないかと、大袈裟な思いにとらわれたりもする。

 配信で手軽に観るぶんには、そこまで重荷にはならずに済むかもしれない。ただ、忘れられない映画になることは確かである。両親のただならぬ喧嘩を目撃した、幼い日の記憶のように。
Profile : 岡本敦史
ライター・編集者。主な参加書籍に『塚本晋也「野火」全記録』(洋泉社)、『パラサイト 半地下の家族 公式完全読本』(太田出版)など。劇場用パンフレット、DVD・Blu-rayのブックレット等にも執筆。

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紹介作品は動画配信サービス「スターチャンネルEX」で配信中

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