「007」のアンチテーゼ、"ハリー・パーマー"の歴史とドラマ版が見せる新たな魅力/『ハリー・パーマー 国際諜報局』解説(文/村山章)

解説記事 スターチャンネルEX 編集部
「007」のアンチテーゼ、"ハリー・パーマー"の歴史とドラマ版が見せる新たな魅力/『ハリー・パーマー 国際諜報局』解説(文/村山章)
「007」へのアンチテーゼとして執筆されたスパイ小説「イプクレス・ファイル」を約57年ぶりに映像化したドラマ『ハリー・パーマー 国際諜報局』について、ライターの村山章さんに解説して頂きました。そもそもハリー・パーマーとはどんな存在なのか、そして本編に登場する2つの映画が提示する意味とはーー?
※本文後半には本作に関するネタバレが含まれます。ぜひ全話鑑賞後、お読みください。

目次[非表示]

  1. 007のアンチとして生まれた黒縁メガネのお仕事系スパイ
  2. カルト人気を得た映画版『国際諜報局』
  3. オリジナルへのリスペクトと独自路線が融合
  4. リアルとフィクションの大統領暗殺計画が交錯
  5. 最終回に映るゴダールの『軽蔑』に込められたものとは?

007のアンチとして生まれた黒縁メガネのお仕事系スパイ

『ハリー・パーマー 国際諜報局』は、スパイ映画史上でも屈指の傑作『国際諜報局』(1965)と、原作小説「イプクレス・ファイル」をもとにしている。とはいえ「ハリー・パーマーって誰ですか?」という人は大勢いるに違いないので、簡単に説明しておきたい。

ハリー・パーマーは、007ことジェームズ・ボンドのアンチテーゼとして生まれた。007シリーズの第一作『007は殺しの番号』(後に『007/ドクター・ノオ』に改題)が公開されたのは1962年。ダンディで洗練されたプレイボーイというスパイ像で一世を風靡した。そして同じ年に、より現実的なアプローチのスパイ小説として発表されたのが「イプクレス・ファイル」だった。

レン・デイトンが書いた小説版の主人公には名前がない。読者にわかるのは、軍属だが、なにか事情があって政府の諜報活動に従事させられていること。労働階級の出身でエリートコースとは縁がないこと。権力嫌いの皮肉屋で、スパイ活動はあくまでも仕事と割り切っていること。グルメと女性を好むのはボンドと同じだが、自分で料理することなど、スーパースパイのボンドとはいちいち対照的なのだ。

面白いことに、この小説に注目したのは007シリーズの敏腕プロデューサー、ハリー・サルツマンだった。サルツマンは共同プロデューサーであるアルバート・ブロッコリと一緒に007映画を世界的ヒットへと導いた立役者だが、ブロッコリよりもシリアスなハード路線を志向していた。

サルツマンは「イプクレス・ファイル」の映画化権を入手し、単独プロデュースで『国際諜報局』(65)を完成させる。主人公の名前は“ハリー・パーマー”と定められ、名優マイケル・ケインの飄々とした佇まいと、近眼で太ぶちメガネをかけたビジュアルがキャラクターを決定づけた。『オースティン・パワーズ』(97)から『キングスマン』(14)まで、メガネ姿のスパイが出てくればまずハリー・パーマーへのオマージュと思って間違いない。

ハリー・パーマー 国際諜報局

カルト人気を得た映画版『国際諜報局』

映画『国際諜報局』では、英国内閣直属の諜報組織WOOC(P)に転属させられたパーマーが、核開発に携わる科学者の誘拐事件を追う。そしてソ連とアメリカという二大国が関わる諜報戦に巻き込まれ、パーマー自身が恐るべき洗脳計画の実験台にされてしまうという筋書きだ。

サルツマンは、美術監督のケン・アダム、音楽のジョン・バリーという007シリーズの常連スタッフを起用しつつも、まったくテイストの異なる作品に仕上げた。悪の組織の秘密基地も便利なハイテクグッズも登場しない。善悪よりも任務と国益が優先される冷え冷えとした騙し合いの世界には、荒唐無稽なスパイ活劇とは真逆のハードボイルドな魅力があった。

『国際諜報局』は高く評価され、サルツマンは翌66年に『パーマーの危機脱出』、67年に『10億ドルの頭脳』と2本の続編を製作。後にサルツマンの主導で007シリーズの中でもリアル路線に寄せた異色の傑作『女王陛下の007』(69)が生まれたのも、ハリー・パーマー物で得た自信と確信ゆえだったのかも知れない。

そしてパーマーを演じたマイケル・ケインは、1990年代に2度パーマー役を再演しただけでなく、92年に『ブルー・アイス』という映画でハリーという役名の元諜報員を演じている。同作ではプロデューサーも務めており、よほどハリー・パーマーに思い入れがあるのだろう。

ハリー・パーマー 国際諜報局

オリジナルへのリスペクトと独自路線が融合

さて、ドラマ版の『ハリー・パーマー 国際諜報局」は、前述の『国際諜報局』から57年ぶりのリメイクであり、また同作では抜け落ちていた原作小説の要素を取り入れて大胆なアレンジを加えた、まったく新しいリブートでもある。

監督は犯罪ドラマ『マクマフィア』(18)で評判を上げた俊英ジェームズ・ワトキンス。脚本を手がけたのは『トレインスポッティング』(96)で知られるジョン・ホッジ。ホッジはダニー・ボイルが監督する予定だった007シリーズ25作目の脚本開発にも関わったことがあり、ここにもハリー・パーマーとジェームズ・ボンドの奇妙な因縁が感じられる。

ホプキンス監督とホッジは、全6話のドラマシリーズというフォーマットを活かして、オリジナルのテイストをさらに深化させてみせた。張り込みや書類作りといった地味な作業にも時間を割いて、スパイ活動が彼らにとって日常業務であることを強調。映画版と同様、パーマーたちのスパイ活動には銃や爆弾が活躍する局面はほとんどない。

一方で、東西に分断された冷戦時代のベルリンやレバノンの首都ベイルート、アメリカが核兵器実験を行う太平洋の孤島など、原作小説に準じたロケーションを登場させて、スケール感を大幅にアップさせている。各話ごとにメインとなる舞台が異なっており、シリーズでありながらも独立した6つのテイストが味わえるのも贅沢な趣向だ。

全編を通じてダッチアングル(カメラを斜めに据えた画角)が多用されているのも大きな特徴だが、これも映画『国際諜報局』を踏襲したもの。レトロでスタイリッシュなビジュアルでありつつ、常に不穏な空気が漂っているのは、この不安定な画角によるところも大きい。

そして推したいポイントなのにネタバレになってしまって説明しづらいのが、劇中で引用されている2本の映画について。どうしても終盤の展開を明かすことになってしまうので、ここから先の2章はネタバレがあると断った上で進めたい。気になる方は、どうか先に全6話を鑑賞してからお読みください。

ハリー・パーマー 国際諜報局

リアルとフィクションの大統領暗殺計画が交錯

ドラマ版『ハリー・パーマー 国際諜報局』は、1963年に時代設定されている。これは原作出版の翌年であり、映画版より2年前。同じ60年代ではあるものの、それぞれに微妙な違いがある。

63年について、ワトキンス監督は「キューバ危機の影で、かなり熱を帯びた緊張感のある時代」としつつ、ビートルズのようなポップカルチャーも挙げながら「社会的にも文化的にも大きな変化が起こり、新しい可能性のある世界」だったことを指摘している。

劇中、映画館で上映されている映画としてジョン・フランケンハイマー監督のスリラー『影なき狙撃者』(62)のタイトルがチラリと映る。同作は英国では1962年11月に公開されており、タイミング的にも不自然さはない。そして『影なき狙撃者』のタイトルから、製作陣の匂わせにピンと来る人もいるだろう。『国際諜報局』で主人公が洗脳実験にかけられることはすでに触れた。『影なき狙撃者』もまた、洗脳によって無自覚のまま大統領暗殺計画の狙撃犯にされてしまう男の物語なのである。

製作陣がわざわざ『影なき狙撃者』を選んだのが偶然であるわけがない。別の映画を引っ張り出すことで、視聴者に終盤の展開に繋がるヒントを与えているのだ。それだけならちょっとした映画ファン向けのお遊びとも言えるのだが、実はこの映画は、ある世界的大事件を先取りしていたとして話題を読んだ。映画が公開された翌63年の11月23日に、アメリカ南部の都市ダラスをパレード中だったジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されたのだ。

しかも狙撃犯としてリー・ハーヴェイ・オズワルドという男が逮捕されたが、動機も不明なまま報道陣の前で射殺されるという異常な事態に陥り、今もなお多くの謎を残している。不謹慎かもしれないが、まるでスパイ映画さながらの事件である。

『ハリー・パーマー 国際諜報局』にもケネディ大統領が登場する。第6話ではケネディの英国来訪が描かれているので、史実と同じだとすれば第6話は63年6月の話ということになる。そして劇中ではパーマーや上司ドルビーたちの活躍でケネディ暗殺を阻止できたが、5ヶ月後には凶弾に倒れて命を落とす運命なのである。

本ドラマにおいて、アメリカは映画版よりもはるかに大きな役割を担っている。物語の前年にあたる62年10月にはキューバ危機が勃発し、アメリカとソ連が核戦争寸前の緊張状態に陥った。アシュリー・トーマス演じるCIAエージェントのマドックスが、彼自身だけでなく米軍内のケネディ大統領への失望が、巨大な陰謀の背景にあることを明かす場面がある。物語の中心にいるのはパーマーら英国スパイだが、世界はむしろ超大国アメリカの事情に左右されているのだ。

そしてふと振り返ってみれば、60年も前の世界情勢が、国益と国益がぶつかり合い、あいも変わらず核の脅威をちらつかされている21世紀のリアルと容易にシンクロすることに空恐ろしくなるのである。

ハリー・パーマー 国際諜報局

最終回に映るゴダールの『軽蔑』に込められたものとは?

最終回の第6話には、もう一本、映画館で上映されている別の映画が登場する。ジャン・リュック・ゴダール監督の『軽蔑』(63)である。

『軽蔑』は、ヌーヴェルヴァーグの旗手として脚光を浴びたゴダールが、ある脚本家と妻の心が離れていく様を描いたメロドラマで、当時の妻アンナ・カリーナとの複雑な愛憎関係が反映されていると言われている。そして看板にタイトルが載っているだけだった『影なき狙撃者』と違って、主演のブリジット・バルドーが佇んでいる場面が実際に映し出される。

重ねて言うが、ただの偶然で『軽蔑』の一シーンが映ることはあり得ない。わざわざ劇中で引用するからには、必然性や意図があると考えるべきだ。しかも『軽蔑』のイギリス公開は実際には数年後であり、時代考証的に無理があるのを押して使っているのだからなおさらだ。では一体なぜ、スパイや国際的陰謀と繋がりのない『軽蔑』が選ばれたのか?

あくまでも筆者の推論だが、『軽蔑』には二重の意味が込められている。ひとつは、カネで芸術を売り渡すことで妻から軽蔑される主人公の姿が、任務のために人を騙し、人間的な感情も押し殺さねばならないスパイたちの葛藤になぞらえているということ。

過去作や原作と違い、本作のパーマーやドルビーは、彼ら自身が人間的な感情を殺しきれない現実をある種の諦念をもって受け入れている。感情は彼らスパイが他人を利用するためには不可欠なものであり、心の痛みや弱さを自覚できているからこそ、彼らはスパイ活動に向いているのである。

もうひとつは、『軽蔑』が私的なメロドラマであると同時に、ハリウッドの商業主義に映画産業が飲み込まれることへの警鐘、もしくは悲嘆を描いた映画であること。パーマーやドルビーがいかにイギリスの国益を守ろうとしても、結局はアメリカやソ連(現在ではロシア)の超大国の利害に飲み込まれる現実への皮肉が、『軽蔑』を引用した理由のように思われる。

今回のドラマ版がなんともいえない苦味と寂寥感をまとって終わるのは、スパイとは自分を“軽蔑”せずにはいられない職業であり、彼らの哀しい自嘲が『軽蔑』という映画に託されているからだと感じたのだが、みなさんはどう解釈されるだろうか?

ハリー・パーマー 国際諜報局

『ハリー・パーマー 国際諜報局』
原題:THE IPCRESS FILE
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(c) Altitude Film Entertainment Limited 2021 All Rights Reserved. Licensed by ITV Studios Ltd.

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